今日は、ちょっとした言葉の意味を考えてみましたのでご報告します。
答える、と、応える、です。
辞書では、
「答える」=返答、「応える」=応じ報いる、強く感じる、
という違いがあります。
字面から考えてみます
タイトルにしましたが、答えるが合っていればそれでいい、というのは漢字の中に「合」が含まれているから、というのがその理由です。
で、一方の応えるは「心」が中に入っています。文字通り「心」がこもっていない「こたえ」では強く感じることがないからじゃないでしょうか。
もうちょっと分かりにくく解説してみます(笑)
ここでいう”答える”の意は知識で事実を伝える、”応える”の意は共感でもって応対(応接)する、です。
そのココロは、"応える"の字には心が入っているってことですかね。
突き詰めていくと「答える」ことには、YES or NOまでバラせそうに思えますが、日常にある質問の多くはその実、そんなに単純なものに非ず、といったところです。
問いかけ・語りかけには常にその本質を考えなければ信頼に結びつかないと感じています。
その本質に『応える』が出来ていないなら質問に「こたえた」と言えず、本質を達成できなかった人たちは内心、ガッカリダヨ…、と失望を禁じ得ないいう状況にならないように気をつけよう。と思っています。
だからといって、あまりにも理解しようとするあまり質問者を多少ヤキモキさせてしまうところがあるのは改めようと思っています。今後の課題です。
この話、あまり広がりもありませんが、どんな職業でも問いかけに答えるのは最低限必要で、応えるところまで昇華させることが(職種にもよりますが)重要になってくるような感覚でいます。
答えるのはロジカルに正解していればいいだけなのですが、応える場合は心が入っていないとロジカルに合っていても正解じゃない、って考えてもあながち世の中間違っていないんじゃないか、と思わせる出来事がいくつか思い出になっていて、それをきっかけにこの記事を書いています。
最近、どっちで「こたえ」てます?
答えていますか?もしくは応えていますか?
社会人を数年もやっていればある程度の実力は備わっているはずなので、
”答える”ことはできるはずだから、
”応える”ということも必要でないかという時期がくるんじゃないかな、と思うことがあります。
逆に言えば、これを早い段階で意識しておくと同期の社員同士では先んじて取り立てられることがあるかもしれません。
ビジネス雑誌やWeb記事などで、よく、「顧客に感動を与える営業マン」とか「就活生に感動を与えるリクルーター」が取り上げられていることがありますが、これはまさに心を捉えているからなんじゃないか?と思ったものです。
社内の業務上の会話や顧客との会話において、機械的な答えではなく心に働きかける応えができる人になりたいなぁ、と思った次第です。