この会社の中で、自分に残された"何か"はもう"ない"、と思っていた。
ただしこのまま黙って退職するだけでは恨みだけが残ってしまう。恨みだけを引きずって生きていく、そんな人生はどこか自分を卑屈にしてしまう。
それだけは避けたかった。
過去の自分は卑屈になった時期もあったし自信に満ち溢れていた時期もあった。いい時期も悪い時期も人生には訪れる。ただ、この会社に属しているとそのいい時期と悪い時期が循環する周期はとても目まぐるしく、速度が何倍にも早いアップダウンを感じていた。
ここで、逃げに近い退職を選択することが果たして自分のプラスになるのか?マイナスを緩和するという実感を本当に持てるか?
いや、待てよ。
そうだ。
せめてこのわだかまった、行き場のない感情を何かに転嫁しよう。
そう考えたときに感情的な自分は理性的な自分を説得し、一計を案じていた
それこそが、「退職すること」で完成する計だ。
自分は自他ともに認めるほどの仕事量をこなし、部署に、ひいては会社に貢献してきた自負がある。ここ1年はかなりのオーバーワークを処理してきた、という自負もある。
こんな部員が部署から抜けてしまえば、人員を補充したところで昨日今日来た社員が全く同じパフォーマンスを発揮することは不可能だ。間違いない。
だから、退職前にはオーバーワークだろうが家に持ち帰って睡眠時間を削ろうが、残業時間を付けずに黙々と業務をこなし、その業務に対し結果を出してきた。
これくらいのパフォーマンスを発揮するメンバーが1名脱落したチームでは明らかに周囲にも影響が出るし、上司としても日々面白くない進捗具合になるだろう。
しかももう一つ。他のメンバーは基礎知識こそ多少あるが、深いレベルでのインフラ(ネットワーク・サーバ)知識には疎い。メンバー中で唯一と言えるインフラに長けた部員なのである。この状況での離脱は、ネットワークやサーバの深い知識を要する業務については誰が引き継ごうがしばらくは部署として業務は停滞するだろう、と予想していた。
停滞する業務は他の部署からの不満にも現れることになる。
いままであれこれインフラ面で世話をしていたメンバーが、なんとなくいなくなることで残ったメンバーが自分でできる範囲ではそれをやるだろう。だがそれが他部署の需要を満たすとは限らない。
満たされないシステム部門の品質は、そのままユーザへの不満に直結する。このユーザへの不満がある日何らかのきっかけで問題になってくれるかもしれない。「あいつが居たらこうじゃなかったのに!」と思う人が居るかもしれない。
そう会社内の何人かに思わせたら、この計は成功だ。
これこそが、私が上司に対して無言で恨みを晴らすための唯一の"仕返し"であり、
長期的に用意した計略でもあった。
そう、私は上司が嫌いだ。
そして、以前に部署のメンバーを1名辞めさせておきながら、その業務をExcelの業務分担表だけで全メンバーに按分し配分しただけで、実際の業務はすべて私に押し付ける格好となり2人分の業務負担を見て見ぬふりしてなし崩し的に既成事実としたことは忘れない。
それでいて、メンバー全員の前で人のことを毎週のように(週次の会議で)叱責する、これを忘れない。
一番は、いままでの経緯を全く無視して私への「無駄な仕事をしている」類の発言や「お前の仕事はみんなに迷惑掛けているのが分からないのか?」など、いわれのない暴言、二度と忘れない。
そう、私は1人であり、1人分でしかない。2人分の仕事を引っ被ってわざわざ毎週責められるいわれはない。
だが、嫌いな上司だろうが、これを理不尽と感じていようが、合理的な説明が出来なければ会社という公式の場では通用しない。また、そんな上司の言に反論/反証するという行動がどれだけ労力と精神力を要求するか。正直、そんな器量は私にはない。
自分を表明できる人はいい。間違っていることを間違っていると言える人もいい。それができてうらやましいと思う。
だが、これは現実なのだ。テレビドラマのようなヒーローじみた逆転劇など存在しない。
物言わぬ社員が、唯一ことを荒立てずにできる合理的な復讐が
「自分の抜けた穴を極力大きいものと、周囲に思わせることで溜飲を下げる。」
ことだと思っている。第三者からみえれば矮小なことだ。あくまで一人称である”自分”の勝ち負けだけの問題なのだが、こんな精神状況に陥ってしまった私には、この計を成功させることが勝利への道だった。
そして現在の置かれた状況が退職の意思表示をしてから、計略の最終段階に入っている。
だが、この計の欠点は「自分が退職して舞台から降りてしまうので、あとの状況が分からない。」という点だ。それ見たか、イイざまだ、という実感を得ることはできない。あくまでも退職という「自分自身の存在を消す」ことを条件として生み出される負の影響をトレードオフにした計略なのである。
計略の成果が見られないのは残念ではあるが、「死せる孔明生ける仲達を走らす」との言葉もある。まさに今は会社という舞台から「死せる自分が生ける上司を走らす」状態といえる。三国志の諸葛亮(孔明)も”今わの際“ではこんな気分だったのかもしれないな、と勝手な妄想を巡らせていた。
だが同期Aは、こうやって退職を美化しようとしている自身の心の内は知る由もないし計略についても気づくはずもない。
が、1点彼に響いたところがあったようだ。そして同期Aははっきりとこういった。
「辞めるべきじゃあない。いや、辞めんな。」
そして、こんな用意周到に進めてきた計略をほんのちょっと狂わせる申し出を述べた。
「もし、自分が希望するのなら、俺の部署に来ないか?」
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