本日は、接客についてふと思い出したことがあったので書いてみようと思いました。
現代は、大人がコーヒー買うにしても子供が100円握ってコンビニでお菓子を買うにしても、「しっかりと応対してくれます」よね。
マニュアルでそうなっているから、というのもあるとは思いますし、教育が徹底している、というのもあると思います。十円のうまい棒を一個だけ買う客だろうが、何千円何万円の売り上げをもたらす客だろうが、店員さんは"全く区別(差別?)しません。"全く同じ「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました。」を言ってくれますし、単価の安い客だからと言って不遜な態度をとるようなこともなければ、子供相手だからといってバカにしたような発言をするようなこともありません。むしろ子供相手にはいろいろ気遣ってくれる店だってあるくらいです。
いい世の中になったな、と思う今日この頃です。
もうここまでで今日の結論は終わりです。要するに接客についての教育が行き届いていて、気持ちよく買い物できる店が多くなってよかったな、ということを言いたいだけだったんです。
なんで、こんなことを思ったんだ?とちょっとでも興味を持ってくれた方、これ以降の昔話にも少々お付き合いください。
昭和の昔、子供の頃の話です
子供のころ、数十円握りしめて近所で駄菓子を買うとなると、結構ぞんざいな態度で応対されることが多かったものです。
コンビニなどというものが存在しなかった昭和年代、近所で駄菓子を買える店は個人商店が四店ありました。その四店の内二店は農協(の売店みたいな店舗)とヤマザキショップ(の前身の店舗…だと思うたぶん)でした。
他の、二店は○○屋(八百屋とか魚屋のような)とかいう表現はできないくらいよく分からない店(個人商店)でした。
このよく分類できない二店が今回の話の中心です。
この二店の商品内容は、三割駄菓子屋、三割小学校の指定取り扱い品(内履きや体操着など)、三割は車でスーパーに買いに行けないような住民向けの日用生活品、と言った平成の今考えても何店に分類したらよいかが判断つきかねるような店でした。おそらく客単価も安かったことでしょう。
田舎なりに住宅が20~50程度密集した住宅地にひっそり存在していて、店なのか家なのかあまりよくわからないような感じの店構えをした個人商店です。当然接客などという概念もなく買い物というよりは、単純に近所のおっさんに小銭を渡して物をもらう、ぐらいの感覚で利用するような店でした。
そんな田舎で取り扱っている商品の単価もそんなに高いわけではないものですから、日々の売上というのもさほどの売り上げではないだろうというのは、自分が年を取った今思い返してみると容易に想像はつくものです。
子供ながら親と一緒に行ったり一人で行ったりしたときに、ささやかに数十円のお菓子を自分で買うという行為が凄く新鮮で、よく10円の粉ジュースや20円のどんどん焼きを買って喜んでいた記憶があります。
ですが、親付きの時はイイんですがで子供一人で行った時には、この店の主人はちょくちょくイイ顔せず失言するんです。そりゃま、10円の粉ジュースしか買わないような小学生が一人できて5分とか店で何買おうか選んでいる間、レジの前にいなきゃいけないわけだから煩わしかったのかな、とか(今だからこそ)察してみたりできますけど、当時はなんでだろう、と不思議だったものです。
これが違う家の子供だとまた違う応対をしたりします。要するに「ほぼ毎日のようにその店で数百円使う子供」というのは店からすれば「良顧客、いわゆるお得意様」と言える存在なので、結構ちやほやするんですよね。
でも私のように特に小遣いをもらっていなかった家の小学生の場合、たまに数十円もらったからといってその店で30円の麦チョコとか、30円のビックカツとか、ちょっと奮発して50円・60円のビックリマンアイスや秘伝忍法帳を一本買っても、店からすれば別にありがたくはないようなんですね。そのありがたくはない、というのが態度に出てしまい、ちょいちょいぞんざいな態度を取っていた、という記憶だけは鮮明に残っています。
いちど虫の居所が悪かったらしく
「お前、幾ら(何円)うちで買い物するんだ?たかが数十円くらいだろ?」
などと喰って掛かられたときには、”いったい何が言いたいんだこの大人は”などと思ったものです。
(もうちょっと詳しく書くと「もっと高額な買い物をするような相手が客なんだ。」というニュアンスのようなことを言われたような記憶がおぼろげながらあります。要するに数十円程度の小学生は客じゃない、と言いたかったように受け取っています。)
それ以降、その店で10円や20円くらいの買い物をするときには、よく「お得意様の子供」と一緒に店に入るようにしたものです。お得意様の子供が数百円もの(小学生から見れば)派手な買い物をするついでで、その他大勢のうちの一人として10円・20円の買い物をするんですね。
店主からすれば「子供が一斉にきて数百円の売り上げになった。」という成功体験にも似た状況に思えるらしく、店主は上機嫌で応対しれくれるものだからますます一人では行かなくなりました。
店の凋落?
小学生だった私達からすれば、自分のおやつを調達するための日常的な施設だったその個人商店なんですが、二軒ともある行動をきっかけに信用を失うことになります。
ある日親からこういう質問をされました。
「あんた、○○の店とか○○の店でなんか買ってるか?」
特に疑いもなく、何も考えてなかったので、粉ジュースとかどんどん焼きをたまに買う、と答えました。そんな悪い話だと思っていなかったのです。
「もう、学校の周辺の店で買い物するのは止めておきなさい。」
私は、ん?なんで?何かあった?と、訝しそうに質問します。あまりにこの指示が唐突だったので何が言いたいのか理解できなかったのです。
親が答えました。
「個人商店、あの二軒の店がどっちか知らんが、学校にこういう電話するらしいんだよ。」
と言って説明してくれたのは学校に個人商店から入電されたいわゆるチクリ的なものだったんです。
”「○○さん家のお子さんが二千円もってお菓子を買いに来た。」”
とか、
”「○○さん家のお子さんが五千円札をもってお菓子とジュースをたくさん買って帰った。」”
とか、内容としては千円札複数枚を子供が携えて買い物に来ると、店としては学校に電話するようなスタンスらしいんです。で、場合によっては何を買って帰ったのか、買い物内容まで学校に通告するらしいのです。
これを学校の保護者会的な集まりで学校から言われて帰ってきたものですから、子供にいちおうの確認をした、という主旨で前述の質問をされたわけです。確認後、特に学校から問題視されているような行動をしていなかった、という安堵と同時に出てきたセリフが、
「学校の周辺の店で買い物するのは止めておきなさい。」
らしいんですね。
親はこう続けます。
「お菓子が欲しいんなら、スーパー(スーパーマーケット)で買ってあげるし自分で買うにしても一緒にスーパー行ったときに買うようにして、学校の帰り道に買わない方がいい。学校に電話されるかもしれないんじゃ安心して買い物できないじゃないか。」
と、言うんですね。さらに、続けます。
「子供か大人かは関係なく、店にお金持って買いに来れば"お客"だよね。でも店はそうは思っていない、今回通報した店がどこか分からない以上は他の店でも同じこと(学校に通報される)は起こるかもしれない。」
親や自分の意見を述べ、学校の近所の店では買わないことを推奨しました。
「客商売、の基本として、誰であろうとも買い物内容を学校に通報する、というのは、何か道を外れていると思うし、通報は店主の役割ではない、と思うんだよね。」
"確かに、トラブル(先生に怒られる)になるのはいやだなぁ"
、と子供心に思った私は、親に言われた通り、学校の帰りに買い食いをしないようにがまんするようになりました。
この影響は微々たるものだろうと容易に想像できますが、結局のところ、四店舗あった店は少子化の影響もあって一店舗を除きある時期を境に全部廃業してしまいました。
買い物に来て、小学校に通報される可能性を秘めている店で買い物できませんよね。怖くて。
買い物に行って、「お前の単価何円なんだ!」とか文句言われるような店、行かないうほうがいいのかな、って思いますよね。
で、特にオチもないんですが、
テレビでよく、「風情のある下町情緒と人情の溢れる街の駄菓子屋」って紹介されますけど、ああいうお店にいい思い出がない、っていう人も居るってことです。
むしろ、多少トラウマに近いものがあるようにも思っています。
コンビニで10円のチロルチョコ・うまい棒や20円のどんどん焼き、30円のビックカツのような単価の安い商品だけを買ったことはありますか?
アルバイトだからっていうのもあるかもしれませんけど、嫌な顔一つせず、淡々とレジを打って「○十円です。」って言われるから、十円玉を数枚出すと、お釣りの一円玉を何枚か返してくれます。フツーに。
個人商店だとこう淡々とはいかないんだろうな、ってふと思う瞬間があったんですよね。数十円の顧客をどう扱うのかというのも接客なんだなぁ、と思ったり、接客って大事だなと思う一方で、こうして単価が安い客でも淡々と相手してくれるってのは、ある意味幸せだな、と思ったりもします。(個人商店の主人に嫌味を言われなくて済む、という意味で)