treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

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お年玉の位置づけが最近変化しているらしい

今日は正月の話題(雑談)、完全に遅きに失した感もありますが。

お年玉という位置づけが最近変化しているらしい、という話を聞きました。

昭和生まれにとってはお年玉って「年に一回だけ富豪気分を味わえる瞬間」でしたけど、最近の子供ってそうじゃないらしい?

お年玉より〇〇

最近の子供は「お年玉よりゲーム買って」という発言をする(という子もいる)らしい、という話題を見かけました。
昭和生まれにとっては意外な話です。
お年玉でもらった金額よりゲームのほうが高価なら話も分かりますが、どうもそうじゃないらしく、お年玉でもらった金額より安価なゲームという「モノ」を直接もらう方がイイ、という考え方なのだとか。

お金を使う練習

「買ったけどイマイチだったな」とか「これは買って正解だった」とか、自分で実際に身銭を切った買い物は本人の体験として残る、という考え方をしています。体で覚えるってのに近いかもしれません。

我が家では、モノで支給して欲しい、という要望が出たことはありませんが、もし言われたとしても

「もらった金額内で欲しいものがいくつ買えるのかを計算する、という算数の問題」
だとか
「いま、手持ちのお金の金額内でどれだけ自分の満足が行くように有効な買い物ができるかを考えてみよう」
だとか言って、買い物ってのを体験させるように誘導するだろうな、と思います。

電子マネーが日常に

初めてSuicaやEdyを使ったときは、こりゃ便利、と思ったものです。
いままで小銭を財布からジャラジャラと出して、自動販売機やコンビニのレジで支払いをしていたのが、一瞬でカードをかざすだけで支払い処理完了、初めてのときは何とも衝撃的でした。

時は流れて、そんなSuicaやEdyのような電子マネーは「存在して当たり前な存在」となっており、チャージ済みのカードをレジでかざすだけの買い物が一般的になっています。
そういう日常から見ると、硬貨や紙幣のような直接的な「現金」という存在は不便な道具であり、数字データが記憶されたカードを用いる間接的な「電子マネー」のほうが支払いというアクションに対しては便利な道具、という認識になっているように思えます。

そういう中で、何枚も千円札を握って売り場でアレコレと選ぶのってもう時代遅れだと思われている可能性もありますね…。うちではこんな感じですが。

でも、子供から言われます。
「Suica(電子マネー全般を指して)って便利だよね。」
と肯定的な反面、
「でも、幾らくらい使ったか分かりにくいんだよね。」

使いすぎに気を付けなければならない環境にいる場合、という条件では便利な点が弱点にもなるようです。うっかり使いすぎ、のような。

そのうち、行き過ぎた電子化が「お年玉もスマートフォンの電子マネーに1月1日になったらチャージされる」とかいう風情のない方式に変わったりして(笑)。

自分がいくら使ったかの実感

昭和生まれの子供時代には一万円札などめったにお目に掛かれないレアキャラな存在でしたが、最近の小学生は何かあると一万円札にお目に掛かるようです。うらやましい反面、親としてはなし崩し的に無駄な使い方をしないようにしてもらいたいと思っています。(実際に収支を監視しているわけじゃありませんが)

そういう意味では、一万円という紙幣が千円札という紙幣十枚になって、一枚の紙幣である千円札が500円玉という硬貨×2枚や100円玉という硬貨×10枚になる、という当たり前のお金を
「ただの数字の羅列ではない、物の価値と通貨の価値の等価交換」
というのを理解するうえで、わざわざ不便でも現金で買い物をする、という体験を子供のうちにやっておくのはいい経験なんじゃないかな?と思います。

そういう意味では、お年玉もわざわざ現金を渡して、どんな使い方をするのか、(たとえそれが無駄遣いに見えても)見守ってみたいと思います。