treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

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あとから出てきて批判を重ねる人は正しいのか?

最近新国立競技場のニュースをバンバン放送している様子を見て、思い出したのですが、
会社内に「後から出てきて(一切かかわっていなかったにもかかわらず)形になった成果に対して批判を繰り返す人」
意外と多いですよね?世の中に。
どの会社でも長い年月組織に関わっていれば、絶対登場してくるキャラクターです。(かくいう今も)

私は生理的にこのタイプを苦手としています。

私は何もない(業務もなければルールもない)ところからとりあえず何かしらの形(業務設計やルール設計・規程作成とか)に持っていく仕事をすることが多いのですが、この成果に対して何の貢献もしなかった人やその場に居なかった人が、数年の時を経て後からこの成果を批判する、という事象が往々にして起こります。

正直言って、数年後の未来が予言・予見できる超能力は私にはありませんし、他の人であっても数年後が予知・予言出来る人はごく少数派だと思います。
でも数年後の批判者は"常識"とか"当たり前"という言葉で飾って、いかにもな雰囲気で批判を繰り返します。

とはいえ、意見や反論を批判だ、というつもりはないです。
あくまでも嫌悪の対象となっているのは、"批判だけに終始する"という行為です。
つまり、文句と讒言は違うよね。ということです。
違いは対案/代案があるかないかです。私が考えるこれのほうがこんなに素晴らしい、という心意気があれば、それは自然と議論の遡上にあがるはずです。
(どうにもならない組織もあるそうですね…お察しします。)
同じ耳に痛い発言でも讒言なら、検討の価値があります。
でも世の中には批判だけしかしない人が多い。
批判って簡単なんですよね。目に見えた悪いところを挙げて「これを作ったやつが悪い。」と言ってればなんか言ってる人が正しいように見えてくるから不思議なものです。
ただし、例外として"意思決定に参加していてかつ反対意見を明確に提示していた人"という条件を満たせば批判も受け入れることはできます。
でもこれはただの批判というよりも、「こうしたほうがもっといい」とか「私ならこうする。こう変える。」という真っ向からの反対意見として自分の対案を持っていた人が言えることです。
意思決定に参加せずに後からしゃしゃり出てきたのであれば、やっぱり批判だけじゃなくてきちんとした対案を提示したうえで(しないに越したことはないですが)現状の批判を展開してもらいたいです。

社会人なんだから文句だけで前進しないことは分かりますよね?
と言いたくなってしまう。

さて、こういった対象者へ相対するのは厄介なものです。
実際に対処策として採った行動を思い出してみました。

  1. 論破すべく対決
  2. 黙って耐え忍ぶ

どっちも体験済みですが、経験上の話ですと対決しても論破しても結果として人間関係は悪くなります。
いちいち対決して軋轢を生んでも自分の損になってしまうことが多いですし、実際対決して勝っても負けても関係がギクシャクしてしまうものなのです。
両方試した結果身についた私の基本スタンスはあまり対決姿勢を出さないことです。
そのうえで無言で批判内容に対する改善策を自分の案に組み込みます。(不言実行ですね。)
批判者が何を言ってもひたすらスルーです。でもストレスはたまりますね。
とはいえ、批判者がなぜ批判を展開するかを考えれば自ずと答えは出てくるものです。
一言でいえば批判者の利害の害の部分が強調されているから批判が噴出しているわけですよね。
害が消えて、かつ利が生まれるような改善ができるようであれば、組織全体としても利になる=やるべき、という考え方です。(そして、これができるあなたの能力は高い。)
ちなみに自ずと答えが出ない批判については(ストレスは溜まるでしょうが)取り合う必要はありません。できることがないんですからほっときましょう。もしくは実力不足で改善ができない、ということもありますが結局できることはないんですからほっときましょう。

あえて批判者を分析してみる。
批判する人はなぜそのような行動に出るのでしょうか?ちょっと考えてみました。

  1. ストレスのぶつけ先としてたまたま選んだ。
  2. 本当に損害を受けている(もしくはそう思い込んでいる)。
  3. 曲がったことが大嫌い、という生き方をしている。
  4. 批判をすることが生きがいであり、それによってセルフプロデュースしている。

思いつくのはこのようなところです。(他にもあるのかな?)

文章が全体的にまとまりがなくなってきましたので無理やりまとめに入ります。

  • 自分が対案を持たない事象についての批判を展開しない。

いい対案が思いつかなくて、それでも何かを批判したくなったとき、対象に問題提起をし「よりよくするための議論をはじめましょう。」という提言であってもそれは1つの対案の形だと考えます。つまり「あれはダメだ。」「あいつはダメだ。」と言う代わりに「○○について問題と捉えている。」「よりよくする議論をしたい。」と言い換えるほうが建設的に思えます。

  • 人は人を変えることができない、という前提に立つ。

誰かを思い通りに動かそうとして、攻撃行動に出てしまうこともあるかと思います。
目を掛けた部下や後輩が自分の言うことを聞かなくなると「可愛さ余って憎さ百倍」とことわざにもあるように、次第に恨みが募ってくるものなんじゃないでしょうか?
部下や後輩に目を掛けるのは自由ですが、彼らは自分自身ではない、ということを認識して自分を(自分のやり方を)押し付けないように注意することをお勧めします。
上司から目を掛けられるのはいいことです、がトラブルにならないよう、日ごろからべったりした関係にしない(ビジネスライクな関係性を保つ)ように努力し、意見の相違があったときでも真っ向から対立するようなことは避けることをお勧めします。

  • 味方を探す・作る

批判されているときは、自分の視点が狭まって批判する一派にばかり意識が向きがちですが、組織である以上別の集団にかならず味方は存在するものです。
批判する一派を気にしすぎて自分らしさが出なくなってしまうよりは、味方を探して/作って、自分を安定させることに力をいれるほうが精神的にプラスになることが多いと考えます。
また高度な能力が要求されますが、批判を飲み込んで見識を広げ自分を成長させるというハイレベルな人材も世の中には存在します。

今日のエントリはあくまで体験談と考え方の話です。私は体験した結果、こう考えるようになったという1つの事例として、参考になれば幸いです。

ただしここの記述を実践してうまくいかないからといって私は何かを保証できるわけではないことはご了承ください。
人間の体験というものは何一つとして同じ体験はない、という前提に立って、貴方の人間性がより高度な次元に到達すると素敵ですね。