treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

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対価なき成果を期待する人がどう思ってるか知りたい

対価なき成果を期待することの是非。

結論から言えば是も非もないですよね。
対価がないのに成果を出すなんて成立しない、というのが昔から今も変わらず私の考えの根底にあります。
ようするに私はタダ働き反対です。
しかも営利目的の会社内であればなおさら変な話です。

現在フリーで働いていますので、たまに出会います。

  • とりあえずタダの商談上で何とか情報だけ引き出そうとする人
  • アプリケーションのサポートに対してサーバインフラの設定情報を質問してくる人(しかも無料トライアル中)
  • メールサーバを無料で用意できると思って問合せしてくる人


会社って、利益を追求する目的の集団のはずです。だからコストを掛けるための稟議でたくさんのメリットを説明することでこの稟議を承認し会社を潤しましょう、という動きをするんだと認識しています。
あまり好きな表現ではありませんが、昔言われたセリフです。
「何をするにも金、企業で何かするんなら何事も金がすべてだ。」
好きな表現かどうかはさておき、大きく間違ってはいないでしょう。

さて長く社会人経験があればこういった対価なき成果を要求されること、1つや2つは経験があると思います。
大体そういうときって、「当たり前(当然)」とか「常識」で括られますよね。

まあ今日も昔話です。

むかーしむかし、あるプロジェクトでは研修ビジネスを展開するため、十人ほど選ばれた社員が民間資格を取得するように指示が下りました。
ある日、一人の管理職がすごく怒っているのです。なんだろうと話を聞いていると、業務時間中に資格勉強をしているのは間違っている、という主旨で怒っているらしいのです。
「業務時間中は業務をする時間、資格勉強は業務時間が終わってから社外で自己学習をする、これ当たり前だろう?」
いや、まあそうなんですけどね。でも社命で資格取得をするわけですから。
「業務時間中まで認めてしまうと、業務が忙しい奴と暇な奴で差が付きすぎてしまう。それじゃ不公平だ。」
まあまあ…。なかなか取得できない(何回か落ちた)人に肩入れする気持ちはわかるんですよ。でも目的は資格取得ですから。
「今後一切の業務時間中の資格勉強を禁止する。」
あぁーぁ。
まあ、でも社命とはいえ一日中業務そっちのけで資格勉強というのは確かに節操ないかなぁ、とは思う。正直者がバカを見るってやつね。で、それに対していい気分はしない、というのも分からないわけじゃない。
でもなぁ、だから資格勉強は家でしかやってはいけない、というのもどうなんだろう。自己研鑽じゃなくてあくまで社命で取らなきゃいけない資格なんだから、なんかうまいこと折衷できなかったんでしょうかね、と思う。
人間社会ですから、完全な公平さを環境として提供するのは無理があります。それぞれに事情があるなかでみんなやってるわけで。
だから何も無理に禁止することはないと思うんですよね。

かと思えば別の件。
むかーしむかし、会社が全体的に不振なときに残業代が出ないことがあったそうな。
残業代が出なかった時期で、人員削減の波が押し寄せて、残った社員にしわ寄せがいっていた。そんなある日の21時。一人の営業が来てこういった。
「このPC。明日朝一で客先に持っていくからクリーンインストールしといて。」
当時はPentium MMX/メモリ32MBか64MBでWindows95という超ロースペック時代、クリーンインストールっていやぁまあそれなりに時間は掛かるもんですよ。終電まであと3時間か…。
「3時間あればできるでしょ。」
まあそうかもしれませんけどね。OSインストール、ドライバインストール、Officeインストール、で動作確認して完成。全力で集中してやれば3時間あればどうにかならなくもない。でも残業代でないからこれがんばってもタダ働きなんですよね。もうちょっと早く申請できなかったもんか?
「明日要るから申請書持ってきたんだよ。」
もう議論は面倒だからやっとくよ。しゃべりで営業にはかなわん。
「貴方の仕事だよ。当然だろ?待ったなしだから。朝一で持ってきて。じゃ。」
マシンガンのように強引な作業依頼を聞いて脊髄反射でOKの返事をしてしまった一面もあり。やれやれだぜ…。
さてこれを聞きつけたのが私の同僚。いまのやり取りはいったん何なんだと義憤に駆られて営業に詰め寄った。
「いま21時、会社の都合で残業代付かない昨今、サービス残業なのはわかるよね?」
とまあ、しごく正論です。対する営業は
「いや、仕事なんだから。やるのが当たり前だろう。」
当たり前だろう、と言われて何かスイッチが入ってしまったらしい。
「当たり前、じゃないよね。あんた管理職やってるんだからわかるでしょ。部下が他部署からいまみたいに使われたらどう思う?」
と、言われても当然もちろん後には引けないよね。案の定
「いや部下がそう言われてもやるのは当然だろう。」
もはや本心なのか後に引けなくなってるだけなのか、もうワカラン状態の返答ですとも。
「もう帰るんだよね?夜の9時に仕事振っといて。その仕事、"当たり前"はないんじゃないんじゃないの?感謝でしょ。ありがとうでしょ。」
いきおいに押されたか、営業はこういったらしい。
「あ、ありがとう。」
後日このやり取りを同僚から聞いたのだが、ふと思ったことがある。
その「ありがとう」って言葉はその場に居なかった私に届いてないんだよね(苦笑)

むかーしむかし、あるプロジェクトでビジネス本が配られた。そのビジネス本にあるような企業文化を醸成するためのプロジェクトを今度立ち上げるらしい。
「この本を来週までに読破してきてください。」
まあまあのボリュームだよね?これ。300頁くらいか。
「ただし、業務時間内は禁止です。昼休み、帰宅中の電車内や帰宅後に家で読んできて下さい。」
またまた、本気ですか?これ社内プロジェクトですよね?
「プロジェクト遂行のための知識を学習するのは社会人であれば常識と思いますが。」
常識ねぇ。日本の常識、世界の非常識、って言葉知っています?誰かの常識でも別の人にとっては非常識らしいですよ。
「私はプロジェクトメンバーにそう指示するように指示されていますので。」
あーあ、人のせいにしちゃったよ…。


結局、どのケースでも会社のアクションは何かしらの営利活動を目的として発生しているにも関わらず、やるべき論だけが先行してしまって実際にやる方の都合や感情を考えていないことが問題なのです。
だからせめてその自助努力の範囲に対する感謝の気持ちを少しでも持てればまだ救われる部分はあるんでしょうけども、殺伐とした雰囲気の中で忙しく仕事していると、人の仕事に敬意を払うという根底にあるべき考え方すら置き去りになりがちです。
よく、飲食店では横柄な態度になってしまう客、っていますけどまさにこの「人に仕事に敬意を払う」が普段から抜け落ちているんだと思うのです。お金を払っている客、という立場的な強者が後ろ盾となって態度が横柄になっているんですよね。きっと。

やるべきかやらざるべきかでいえばやったほうがいいことの方が多いけどじゃあ誰がやるんだ、となったときにそれができる人は意外と会社内では少なかったりするものです。(誰でもできるってものは意外と少ない。)
で、それをやるのに「あなたの役に立つんだからプライベートの時間を使うのは当然だよね?」と持ちかけるのはなんかルール違反に聞こえてしまいます。
この仕事、貴方なら遂行できる、ということに敬意を持つ。
遂行の結果、出された成果に対して、感謝の気持ちを持つ。
対価なき成果を期待するのであればせめてこれくらいは人として持ち合わせてもらいたいものです。

と、まあここまでは会社に属していた時代の感覚です。
現在はフリーですから、もっと生活に直結したシビアな感覚です。

話は冒頭に戻ります。
契約はオアズケだけど、なんか知ってそうだから情報だけ取っておこう、なんてよく遭います。ひどいと知ってるんならちょっとやってって(やっといて)みたいなこともあったり。

メールや電話のサポートはタダだと思っている人がすごく多い。メーカは商品が売れればコストは回収できていてそれが利益になっているからサポートに対して、特別に課金する必要性はないかもしれませんけどね。こちとら別にメーカやってないので月々の利用料にサポート料が含まれての月額なんですけど、無契約でサポートを受けようとする行為が見受けられますね。

オープンソースだから無料ってのもなんだか。オープンソース自体が無料で使えるからといって、そのオープンソースで何かを作る工数が無料であるべきというのは道理として通らない。

サービスって言葉を無料って意味で使う人、意外と多い印象です。

こういうのは巡り巡ってくるもので、タダ働きさせようとする企業は取引先からタダ働きをさせられそうになっていないでしょうか?気にされたほうがよろしいかと存じます。

会社という営利目的の集団が無料でサービスを受けることができれば、支出が減る分で利益は追及している、と言えなくもないです。
でも無料でサービスを提供しなきゃいけないほうの立場はどうしらたいいのでしょうか?利益を追求しちゃいけないんでしょうか?

少ないけど精一杯出している、という成果に対する敬意や感謝の気持ち、もらう側には案外伝わっています。
でも一円も払いたくない、という態度では敬意や感謝の気持ちは伝わらないです。

なんか最後は愚痴っぽくなってすいません。大丈夫、涙は心の汗ですから。