追い込まれた末の決断は。簡単だった。
どうしよう
目の前の大人は先生という、学校における権威の象徴的な存在、しかも体育教師とくればこのスキー合宿でも教師の中では中心的な存在にいるだろうことは中学生の頭でも予想はできた。平成の現代ではそのような権威など地に落ちていることもあろうが、時は昭和の権威主義的階級社会が色濃く残る時代の学校である、その権威に盾突こうなどとは微塵もよぎらなかった。権威の発言は絶対なのである。そんな時代だった。
そもそも学校内の説明会の場で、どうやってスキーの技術に不安はないことを証明するというのだ。
追い込まれた中学生の頭ではこれを説得することは不可能に思えた。
そして中学生の頭の中では楽な道を選ぶことを選択することになる。迎合するのだ。
迎合しておけば、このめんどくさい状況は終わるだろう。
「そう・・・ですよね。」
こうして迎合を言葉に換え、
「先生、じゃあ、どの班くらいがいいですかね。」
作り笑いをしながらA先生に指示を仰ぐことにした。
「おお、分かったようだな。基本をやっておくといい、…そうだな。ボーゲンの練習をやる7班くらいがちょうどいいんじゃないか?」
体育教師のA先生は自分の要求が受け入れられたことに、いたく上機嫌となり、スキー場の下の方で基礎練習を行う班を奨めてきた。
…ちょうどいい、ねぇ。
ここまでくると、中学生の頭の中では別にスキー合宿で上の方で滑らなくても別に大した問題ではないような気になってきた。どうせ上の方の班には仲のいい同級生もいないことだし、下の(ビギナークラスの)班のほうが何人か友人も居たことだし、それはそれでいいか、という気になってきた。
と、いうことは、普段からつるんでいる生徒同士が似通った班割りになるようにしたかったんだろうか?となると友人が全部5班以下に居たから私だけが2班と突出していたのが腑に落ちなかった(気に食わなかったのかもね)、という考え方もできる。
多少モヤモヤしたものがあったが、
「先生、では7班の方に移動すればいいですか?」
質問したら、
「登録はこちらでやっておくから、今から7班の詳細な説明を聞きに行きなさい。」
体育教師のA先生はこう促すと、登録を変更するためだろうか、職員室に向かって歩いて行った。
訝しむ面々
こうして7班に移動することになった私は、7班が固まっている場所に行き
「あ、なんか、7班に行くように言われたんですけど・・・。」
といって、説明を聞く生徒の輪の中に入ることになった。
その班にも居た同じ小学校の同級生、ぎょっとした表情で
「え・・・?なんでこんな下の方に来たの?」
と小声で質問してきた。
「あぁ、なんか上の方の班にはついて行けないだろうからここに班変えするように、って言われて・・・」
ハァ?という表情を作ってその同級生は
「え・・・だって、滑り倒してたよね?小学校の時は。」
そうなんだけど・・・、思春期の年代はあまり合理的な説明ができないものだ。
言葉少なに、
「ボーゲンの練習をやるくらいがちょうどいいんじゃないか、って言われたんだよね。でここに来ることになった。」
その同級生はちょっとわけがわからない様子ではあったが、
「はぁ・・・。そういうもんなのかね。」
首をかしげながら説明会の話に再び集中し始めた。
その日、家ではスキーの授業についての話になった。持参物の準備などもあることだし、必要な荷物を揃えるために無いものは買いに行かなきゃいけない。
ふとその合宿のしおりに目を落とした父が訝しみながらこう聞いてきた。
「ん?班が結構下のほうじゃないか。」
ああ、そうだな、と思いながら、
「なんか、普段の体育の授業の成績で決まったらしいよ。」
ちょっとぼやかして班が下のほうであることの説明とした。
それを聞いた父は、
「いやぁ、これは、結構退屈しちゃうんじゃないかね?。」
そんなことは分かっているのだが。中学生にはどうしょうもない事情ってもんがあるんだよな。
そう思いながらも、
「ま、でも授業の一環だから。」
とごまかす。
なんか基準でもあるのかね?と呟いていたが気にしないことにした。
父からすれば、毎週のようにスキー場に行ってゲレンデの上のほうで滑っているような自分の息子が、いまさらボーゲンの練習しかしないような班に所属している、ということに多少疑問は持ったようだが、あまり深く聞かないことにしたらしい。
確かに同じ立場だったら、なんか変だな、とは思うかもしれない。今更だがそう感じる。
そうして準備も進み、当日を迎えることになった。