日常のちょっとした一ページを切り取ったストーリーです。
同僚が突然発した言葉
それは非公式な場ではあったが、会社の同僚と対面して会話しているときだった。
「いま、なにやってるんですかね?」
突然だが仕事の進捗を聞かれたことがある。
当然、そう聞かれれば誰しもが自分のいま手掛けているであろう仕事について説明することだろう。
このときもそうだった。簡単に説明する。
動きを止めて何をしているのかを聞き入っている同僚。
そして次の一言で冷や水を浴びせられたような錯覚に陥った。
「それ、誰の役に立つんですか?」
誰の、役に立つんですか?、ときたか…。
アレコレと思いつくことを述べてみたのだが、取って付けた感は正直拭い去れなかった。
「ま、いいんだけどね。」
彼はそう言うと言葉をつづけた。
「私はね、誰かの役に立つことと業務時間内にやっていることに対してとやかく言うつもりはないよ。しかし…」
そこで彼は次の言葉を絞り出すために少し息を吸い込んだように見えた。
「誰の役に立つんだか分からないようなことをやっているんだったら、それは"ホビー"でしかない、遊びだよ。要するに。」
口調は穏やかだが結構厳しい内容のことを面と向かって言うものだ。
このときはそう思っていた。
この会話が一区切りついたところで、自分の脳内でどのようなことが渦巻いていただろう。
その時、自分の内部では…
確かにその時は多少興味本位で始めたような検証作業をやっていたような記憶がある、その検証について発せられたセリフだった。
言い方を変えれば、
「その検証がうまくいくと誰が幸せになるのか。」
といったところだろうか、いや、
「その検証がうまくいくとどんな益がもたらされるのか。」
といった方がいいのかもしれない。
しかし、会社で遂行する業務の一つ一つをそのように深く考えたことはなかった。
確かに考え方としては正論だ、とも思った。
会社から給料を貰っている、給料を貰っている時間を組織の益になることに使う、それだけのことなのだが、意外とそれが「誰が為に」とか「これを誰の幸せに使おうか」といった部分は抜け落ちていることも少なくない。本来は検証もシステム化も業務改善も、自分を含む誰かの益になるからこそやるべきなのだ、と彼は言っているように解釈できた。
見渡してみれば、すべての業務内容がおしなべて誰かの幸せのために実施されているわけでないことに気づく。誰かを不幸にしている業務も中にはあるように思えた。
一生懸命やってるのに、その一生懸命が誰かを不幸にする、気を付けないとなあ、と思ったものだ。
ただ、最後に「一見すると役に立たないように思えるものでも、実は役に立っているor役に立つ局面がある、という性質がある。」ということも付け加えておきたい。自分の見えている世界だけがすべてでもない、といったところだろうか。