treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

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(3/3)あとがき:残業と評価、その数字は何を示す?

結局残業時間という数字は何を示しているか?それを理解しなければいけない立場の人は誰なのか?ということがまず重要なんじゃないか、というのが個人的な意見です。

環境によって違う、残業が示すこと

よく、残業は無能の証、残業は悪だ、残業は生産性が低い証、などと、残業をやることがネガティブなイメージで語られます。
でも、残業の半分以上は環境の問題だと考えることもできます。

逆に言えば半分は本人にも何かしらの変化が要求されている、といえます。その変化は能力アップだったり改善・改革によって周囲を含めた変革をもたらすことだったり、自分自身だけじゃないマネジメントの能力だったり、その要求される能力はさまざまです。能力が残念な人が残業をしているという構図は現実に存在している、それは自分も実感しています。

ですがそれ以外の能力があるし仕事に対する意識も高いにもかかわらず、残業を慢性的に強いられている人もいます。周囲に協力的な人ほどその傾向が強いようにも感じています。その構図に対して残業する人の能力云々より別の考えなきゃいけないポイントがありそうな感覚でいる、というのが私の感覚です。

残業する方が良いという企業風土や、残業なしではとても終わらないスケジュールを引かれているとか、残業が織り込み済みでそもそも指示が出ているとか、仕事量が一人で裁ける量じゃないとか…、要因は様々でも本人の能力だけではどうにもならないレベルの要因は現実に存在していることがあります。

一言で言えば「終わらないくらい大量に仕事があるから」か「自分の能力を超えた仕事だから」と考えることができます。

残業と能力は直結していない(間接的相関はあり)

残業して仕事しているのは能力がない、と一概に断ずることができないのは、
会社に所属しているすべての社員が公平な仕事量で仕事することがない
つまり同じ部署でも

  • 仕事を自分で判断して断る人
  • 何かの役には立とうと仕事に協力的な人

の二種類がいて、どれだけ無駄を排除したとしても、後者の人は残業せざるをえません。そして前者の人が断るようなことが後者の人に回ってきます。

「残業」という時間だけの一面を取り立てて物事の善悪・良し悪しを判断する、こういった早計は控えたいものです。

こういう問題って、難しいもんですね。