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treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

仕事した気になっている人、身近にいませんか?

体験昔話 ビジネス

缶コーヒーのCMで「人生は誰かの仕事でできている」ってキャッチがありますが、これ、まさに"仕事"を表現していると思います。
貴方の身近にも居るかもしれない仕事した気になっている人、の特徴や私個人が感じることについて今日はご報告します。

仕事した気になっている人、は誰かのための仕事ではなく、自分のためあるいはまったく誰の得にもならない作業に血道をあげる傾向があるものです。

具体的にどんなメリットがどんな人にもたらされているかが説明できるようになっているといいのかもしれませんね。

仕事した気になっている、という状態

仕事って「上司などの依頼者からアレコレと指示を受けて実施する強制力のある仕事」と「自分でこれやるべき、と決定して実施する自分基準の仕事」との二種類があると思います。かなりざっくりとした分けですが、自分基準か第三者基準かということです。
他者基準の仕事は強制力があることから、達成するべき基準やそれを達成するとどんな利益がもたらされるか、という点について自分で考える必要がほとんどない、という点において良し悪しがあります。つまり自分のペースでできない分自分で成果や益を生み出す必要がないということですね。会社員、特に若い時代にはこの種類の仕事が多い傾向にあります。
反面、自分基準の仕事といえば、誰かに強制されて取り組むことではないので自分のペースで進めることもできます。その分達成した時の成果や益を説明できるのも自分だけ、ということが少なくないです。会社員でもミドルクラス以上になってくるとこの種類の仕事が増えてくる傾向にあります。

で、仕事した気になっている状態、というのは、後者である自分基準の仕事をこなしている人の中で、「何の役にも立たないことにひたすら血道をあげている」という人が稀に存在しています。この状態を指して仕事をした気になっている状態、と考えています。

仕事した気になっている人の傾向

前述した"何の役にも立たない"といういい方はちょっと語弊があるかもしれません。正確には
「その仕事によって幸せになる人が誰も居ない。」
という方が正しいようにも思います。
要するに、なんか一生懸命やってるみたいだけど、何やっているか実際に聞いてみると誰も幸せにならないようなことをひたすらやっているんです。むしろ不幸になる人を製造するための仕事をやっていることもあります。
で、自分がそういった仕事をたくさん抱え込んでいる状態について
「私は、こんなに忙しいんだよ!」
といったアピールをすることもしばしばあります。でも聞く側からすると"そもそもそれなんでやってるんだっけ?"と「?」が頭の中に一杯浮かんできます。下手なことを言って刺激してはいけないので、異論をはさんだりはしないのですが。

大体は手段の目的化になっていることが多いです。

たとえ話

あくまで例えば、の話、フリーソフトを使う、ということについて考えてみます。
フリーソフトを使うのは金銭の投資なくちょっとした業務効率を改善して同じ業務を実施する社員を楽にしたり、自分の業務効率が上がることによって残業時間が減るといった組織への貢献だったり、と何かしら幸せになる人が自分以外にも存在することを目的として、フリーソフトを業務に使うという手段が存在する、というのがしっくりくる考え方です。
ですが、フリーソフトを使うことを目的にしていて、具体的にそれを使う・使いこなすことで、
「どんなイイことが生産されるかorどれだけ幸せになれる人が存在するか」
という点についてはあまり話に挙がってこないことが多いです。むしろこちらがそのような話を聞こうとすれば「コイツ、論点がズレた話をしやがって…。」「飛躍した話をしおって…。」くらいのリアクションが返ってくることがあります。
でも、会社のリソースを使って給料をもらう時間でフリーソフトを習熟するための作業時間にするのであれば、やっぱりこういうことって考えておいたほうがいいんじゃないかなぁ、と個人的には思います。一事が万事こういった合理的な考え方をしなきゃいけない、というつもりは全くないのですが、考慮しなきゃいけないポイントの一つである、とは思っています。

ですが、「仕事した気になっている状態」に入り込んでいるとココについて合意を得るというのはほぼ不可能なケースが多いです。「私が忙しいのにアンタ何なんだ」って…。

ある日
「私はね、分析したんですよ。その表とグラフがこれです。」
得意満面に魅せられた数字一杯の表となんだかちょっとよく分からない折れ線グラフが印字されたA3用紙が目の前に提示されました。
これ、なんですか…?
「システムについて独自に分析したんですよ。顧客のシステムとの関連性を云々…。」
なんだか長い長い講釈を聞きましたが、指標は自分基準だし、○○率、という統計も何か計算式が自分独自で割り算しただけ、といった、
何に使うんだろうこれ?
という数字資料です。

正直、水泳金メダリストのように「なんもいえねぇ…」と思わず口をついて出てきそうになってきたのを必死で飲み込んだ記憶があります。

このギャップ、なんで生じるのでしょうか?自分の中では答えが未だ出ていません。

自分が今からやる仕事は誰のためか?

前述のギャップは「価値観の違いだよ」と結論付けることもできるのですが、それだけで片付けていいものか?という気持ちもあります。

でも確実に言えるのは、自分がやろうとしていることで誰が幸せになるか、という点は考えておいて損はないということです。

冒頭の言葉「人生は誰かの仕事でできている」に戻りますと、
「誰かの仕事で自分の人生ができている」
の裏側には
「自分の仕事で誰かの人生ができている」
という考え方もできます。

システム部門の業務で言えば、
「このメンテナンスはユーザがシステム停止で困らないため、システム障害が起きないことがユーザの幸せ」
とか
「このサーバを構築すると、同じシステム部門の監視チームの手間が減る。手間が減ってチームの幸せ」
とか
「このシステムでセキュリティを厳しくすると、ユーザが無実の罪に陥れられることがなくなる。潔白が証明できる。未来の冤罪に苦しむ社員が居なくなることが幸せ」
とか、こういうレベルでOKだと思っています。要するに誰かが恩恵を受けるんだよね、ということを想定して今取り組んでいる仕事ができているかどうかということを大切にしたいですね。

これを見失うとちょっとおかしなことになるんじゃないかなぁ、と個人的には感じています。
つまり、いま自分は誰かのために雇われているから対価を得ている、ということが必要なんじゃないか?ってことです。

繰り返しになりますが、一事が万事すべてに合理的な考え方をしなきゃいけない、というつもりは全くないです。こういう考え方を念頭に置いて仕事したほうがよりステキな仕事・成果がアウトプットできるんじゃないか、ということです。

だって「自分の仕事で誰かの人生ができている」んですから。