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treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

個人事業主が商談で「ボランティア」と言われ覚える違和感

私流方法論 素朴な疑問

今日のテーマは自由業・フリーランスのタダ働きをキーワードに考えていることをご報告します。

本当の社会奉仕/社会貢献としてボランティア活動をなさってる方に何かを申すつもりは毛頭ありません。
自主的に公共(公益)のために、奉仕活動をなさってる方、これ自体は素晴らしい志のもとで日々を活動されていることは理解しております。

今回のやり玉はボランティアの言葉の使い方が誤っている方が社会には存在しているのです。

どんな人が誤用するのか

キーマンは、タダでさせようとする人、ですね。
タダでさせようとする人が存在しているからタダ働きという働き方が生まれる、というロジックだと考えています。
このタダでさせようとする依頼、だいたい会話で使われる単語が
「ボランティア」
「いい経験」
「貴方の勉強」
「仕事の幅、拡がる」
こんな感じの単語が並んできたら"あぁ来たな"です。無報酬の企業奉仕を暗に促されているなぁ、とジワジワ感じてくるこのシチュエーション。
本来のボランティアは"琴線に触れる"活動なのに、こちらのボランティアは"金銭に触れない"という…、しかも自主性を置き去りした無言の強要です。
いえ、うまいこと言うつもりはありませんでしたよ。

いちおう対策を取ると

概ねタダで成果を要求しようとしているかどうかを確認するときに
「お見積もりをお出しします。貴社(貴事務所)でお考えの費用感をお教えいただければご予算に応じて内容を検討することも可能です。」
と、こんな感じで、(1)見積もりするということ、(2)費用感の乖離を防ぐため予算規模を教えてほしいこと、この2点を率直に質問します。
で、タダ働き前提の依頼だった場合には、
「今回は見合わせます。」
と返事がきます。
タダ働き前提でない場合には
(例えば)「初期は出せないけど、月1000円は切りたい。」
具体的に金額で返事が返ってきます。その依頼が1000円で見合わないとしても数百円でやって欲しい、という意思は表明されます。
ここで私は識別します。
その対価、労働に見合わない対価でも払おうとする意志、最低限これは大切です。

誤解のないように前提条件を一つご説明します。
既に1つの契約が成立していて「これは申し訳ないけど(現契約の)料金内でやってくれないか?」というのは出来るだけ応える準備はこちらにはあります。
1つの契約で1つの交換性のある関係性が構築されているからです。
この場合であれば、契約更新や将来へ加味してもらえれば、多少割りの合わない依頼でもお受けすることは可能です。
ここではあくまでも、何も契約がない(成果と対価の交換がない)状態での依頼に対して、苦言を呈したいのです。そしてそれは年に何回かあって神経すり減らしているやり取りになっているのです。

それでもうやむやにしてやらせようとする

冒頭に戻ります。
前出の「見合わせます。」と返事をしなかった人がそれでもゴリ押しでタダ働きさせようという思惑を持って話を進める人が冒頭にある「ボランティア」に類する単語を使います。
ボランティア、崇高な行為ですよね。
本当の意味でのボランティアで世の中に奉仕している方は頭の下がる思いです。このような文章を書いている私とは比ぶべくもないのです。
ボランティアは人が何かを助けたいと思ったときに自主的に損得抜きで実行に移す行為ですね。公共・公益のための自主的に利他的な行為、という点において私には実行に移せそうにありません。
でもちょっと考えてもらいたい点、それはよく出会う一言です。
仕事の依頼において「ボランティアで」と依頼するのは、無償の部分を取り立ててボランティアと表現されていることが多いのです。"自発的に実施"する、という性質もボランティアの要件ですが依頼が起点となって実施している時点で"自発的な実施"とは言えなくはないでしょうか?と思ってしまいます。さらに言えばそういった依頼にて舞い込んでくる仕事、おそらく公共性もない、ですよね。
さらに無償の部分をクローズアップすると、無償で提供される部分の労働に対して、組織の社会的活動に貢献をするはずなのですがこの部分はどう考えておられるのか、いちどお聞きしたいものです。
「いや、ウチもタダ働きさせられてるんだ!」という論点のすり替えもありがちです。しかしながらそちらはタダ働きを是認されているかもしれませんが、私はタダ働きは御免被りたいのです。これではタダ働き仲間を増やしたい、という主旨になってしまいます。
ただ、値切り、費用負担、経費削減、様々な経済環境の悪化に伴うご苦労はお察しします。
お察ししますし、人間の感情として何か力になれることはないかな、、、と頭では思うのですが、
「ボランティア」と言われても、私はボランティアのために自己投資/自己研鑽をしているわけではないのです、と思ってしまいます。
「いい経験」と言われても、いい経験かどうかは自分の判断です。人に決められるものではありません。
「貴方の勉強」と言われても、自分の勉強は自分で研鑽しています。
「仕事の幅、拡がる」と言われても、何がどう拡がるのか皆目見当もつきません。タダ働きが拡がるだけではないでしょうかね?

さらにヒドイ場合もある

「お客様は神様」とばかりに双方赤字案件と認識している仕事でも「オレは客」と偉ぶる人がいます。
これはなぜなんでしょうか。
そしてその自信、どこから生まれるのでしょうか。双方が赤字を認識している案件内であっても発注側である「お客様は神様」の立場を崩さないその姿勢。
別の意味で眩しすぎて直視できません。
(絶対、買い物に行ったら店員さんに横柄な態度を取るタイプだよね。)

自己投資した分の知識や技術は目に見えない=物質的な"モノ"ではない、という点が、お金を払う必要がない、という思考に辿りつきがちな方は結構多いようです。
「原価0だからいいじゃない。」
いえ販管費はありますよ。軽く"原価0=タダ"という方程式を成立させるべきではありません。

なお以前の記事にあったボランティアと言われたPC修理依頼は、些少ながらお礼を頂戴しました。

タダ働きがなくなるといいなあと心から願っています。