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treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

燃尽奮戦記―8話:そして話は斜め上に

体験昔話 smallNovel

それは退職のための引継ぎに勤しむ日常の一部だった。
時は既に2月になっている。
自分の人生史の中で大きな一ページを記したあれから半月以上経ち、既に次のフェーズに向かって歩き始めている。

突然その日常にアクセントが加えられた。

「いつもの会議室予約してから来るように。」
上司から、グループウェアの予約を指示され、予約した会議室へ向かった。
ほどなく遅れて上司がやってきた。喫煙所にでも立ち寄ってきたんだろう。
いでたちが休憩所帰りの様子だったし、何より手には部屋を出る前には無かった飲みかけの缶コーヒーがあった。

 上司はゆっくりと机に缶コーヒーを置くと、静かに椅子を引いて深く椅子に座る。
数秒、宙を見つめて姿勢を正すとこう切り出した。
「え~っと。会長プロジェクト知っているよね?」
来たか―――。
「はい。存じています。」
あまり多くを語る必要は、ない。
上司は続ける。
「プロジェクトのPMであるY部長からプロジェクトの担当者として欲しい、と打診がありました。」
なるほど、と適当な相槌を打っておく。そうすれば話を続けてくれる。
「で、だ。この話、受ける?受けない?」
いきなりの選択か。私は少しここの強引さに辟易している部分もあることに改めて気づいた。
だいたい、ここでホイホイ受けたら深刻だったはずの退職がマヌケなただの"逃げ"とのそしりを免れない。当然ここの返答は、
「能力を買っていただけるのは非常に光栄なことに思います。」
まず、殊勝なありがとうの主旨だよね、と思いながら言葉をつづける。
「ただ私としましても一旦退職というお話で進めさせていただいている手前、簡単にハイそうですか、とお受けするのはどうか、とは思っています。」
前回の面談で端的に発言した"退職は業務の問題ですから。"などと言っていた内容に矛盾しないよう、慎重に言葉を選ばなければならない。
しかもここで上司に余計な口を挟まれて"じゃあ断っとくね"とか言われるわけにはいかない。
相手に声を出す隙を与えず前向きな肯定的な言葉を紡ぐ。
「ただし、私の能力を評価いただけるそのお気持ちは大変ありがたく存じますので、ぜひお話しを聞いたみたいと思うのですが――――。」
ここで、申し訳なさそうな表情を作る。以前は目も合わせられなかった上司の顔だが、もう退職を決めてからの吹っ切れた私は上司の目を直視して、全力で"貴方の不興を買わないかどうかを気にしているんですよ!"と無言でメッセージを送る。
無言のメッセージなどやはり届かないようだ。人はエスパーじゃない。
「よろしいでしょうか?」
けっきょくいいかどうかは確認だ。後で勝手なことを言われないようにするためには合意を取っておかなければ。
数秒の間を嫌ってか上司が口をはさんだ。
「いや、いいんじゃない?話聞いてみたら。」
Yes i am.
何と言われようが、次のセリフはもう用意してある。私は続けた。
「今時点では業務内容も分かりませんし、さらに私の今のレベルでは足りないかもしれません。給与面でもどれくらい下がるのか、という点もやはり会社員である以上気になるところです。まずは詳細をお聞きしたい旨、お伝えいただけませんか?」
上司の反応が否定でも肯定でも、最初から自分の不安点を煽って(いるフリをして)詳細な話を聞きたい、という落としどころに持っていくのが想定のシナリオだ。
上司は想定シナリオを持っていることを知らない。
知らないにも関わらず、ずいぶんとこちらの想定シナリオに乗ってきてくれた。
「では、伝えておきます、と言いたいところだが、私から伝える必要はない。同期のAさん、よく知ってるでしょ?彼のところに直接言って詳しい話を聞くようにとY部長からは伝言されている。」

なんだかお互いに出来レースを仕掛けているかのような変な感覚になったが、そうとなれば話は早い。
「では今日中に同期のYさんを訪ねて話を聞いてみるようにします。お返事も直接Yさんにすればよろしいでしょうか?」
この質問にめんどくさそうに上司は端的に答えた。
「ああ、結構。私に報告も不要だ。」
上司は、過去は振り返らない、未来が大事、と公言しているだけあって、退職者にはあまり興味はないらしい、と改めて実感した。

ある種、好都合だ。

そもそもの出来レースの仕掛け人同士でそれらしい打合せをそれっぽく済ませた私は、当日のうちに二つ返事でOKを出していた。

こうして、退職が一転、配置転換となり、部署異動の辞令に差し代わることとなった。

 

次回:

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