treedown’s Report

システム管理者に巻き起こる様々な事象を読者の貴方へ報告するブログです。会社でも家庭でも"システム"に携わるすべての方の共感を目指しています。

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システム部門にとって「拒否しない」スタンスの重要性

本日はシステム部門とユーザの関係性についてご報告します。

ユーザ部門からの投げかけを「拒否しない」ことです。
しかし御用聞きというわけではありません。
これだけだと、なんかよく分かりませんよね?

いろんな人が居るので考え方も千差万別

拒否しなくても御用聞きにならない

いえ、ユーザも千差万別ですから、システム部門の方からするとズッコケるような話から建設的な意見まで、それこそ人の数だけ価値ある意見・要望もくだらない意見・要望も押し寄せることは、知っています。
そうであっても、です。
もし"くだらない"と思ったとしても決してこき下ろしたり、にべもなく拒否したり、という応対は避けてくださいね。

と、いう話が中心にあります。

つまり、断るにしても「我々はやりますよ、ただ現在の状況では実現は難しい。」これです。
その理由は、追加で投資が必要(投資が引き出せない)とか、テクノロジの革新が必要で世の中に効果を期待できる製品がないとか、そういった理由です。
逆に言えば、追加で投資が引き出せれば実現が可能、テクノロジの革新によって最適な製品が発見できたら実現が可能、と言えます。

でも説明がメンドクサイ、一言で「それは無理」と拒否していないかという心配です。

注意したいポイント

大事なのは、「何を言っても断られる。」という先入観をユーザ部門に持たれてしまう、ひどくなると「言うだけ無駄。」となってユーザ部門は対話を避けようとし始めるのです。
こういった対話・コミュニケーション停止状態に陥ることだけは絶対回避すべき、ということです。
ユーザ部門のアイデアや思い付きは聞きますよ、検討しますよ、という風通しのよい環境をシステム部門とユーザ部門とで作っておくことによって、
「ユーザ部門が敏感に感じ取るビジネスの革新に対して、素早く介入できる状況であれば、テクノロジの革新を素早く適用することができる。」
と考えます。
これなら自身のスタンスは多少は受け身であってもいいのです。

ユーザ部門からシステム部門への要望や意見を上げやすくするために風通しを良くしておく必要がある、その理由をこれから述べます。

ユーザ部門から吸い上げる

雑誌やWeb上の意識高いコラムでは「攻めのIT」「攻めの運用」というような能動的な動きをシステム部門に求める「あるべき論」が蔓延します。
こうじゃないとシステム部門は生き残れない、と。
10年前くらいから、こういった能動的なシステム部門への転換、という話題は叫ばれています。でもですよ、現実10年では意識高くても低くても世の中の大多数のシステム部門は生き残っているのです。(すべてがそうではありませんが、独善的なシステム担当者ほど生き残っていることに心当たりはありませんか?)
部門全体でこの「生き残れない」という認識・意識を統一できていないシステム部門で、一担当者がこれに感化されたとしても周囲からすると「タダの迷惑なヤツ」で終わってしまうことが多いです。
本人からすると「なんでみんな分からないんだろう?」「私はこんなに深く考えているのに!」と、周囲とのギャップとの狭間でジレンマに陥ります。(経験あり)
システム部門の一人だけが意識高くてもシステム部門全体は意識高くなりません。で、「能動的にならないシステム部門は滅亡(自滅)」という論理も周囲の意識が変わらないと"鍋蛙""茹で蛙"です。
※滅亡とか自滅という部分は「存在意義が問われる」(=意味ないんじゃないか?と疑われる)という話です。
だって実際に10年システム部門はさほど変遷をしなくても生き残っているのですから。
生き残っていないのなら、雑誌やWeb上の意識高い記事は「システム部門の二極化(成熟か滅亡)」とか「システム部門はもう終わった」とか「システム部門がない会社が増えている」とか、そういったシステム部門が滅亡(あるいは成熟した)後の話を記事にするはずなのですが、いまだに滅亡への警鐘を鳴らす記事が散見されます。
私自身は10年前くらいから能動的なIT部門の動き方に興味があったのでこの流行りをちょくちょく確認はしていますが、内容に変わったところは見て取れないです。
実際に10年生き残っている所属部署がいままでのスタンスを変えないと生き残れない、と言われても、自分の思考を転換するところに到達するのは(たぶん)難しいんだと思います。

生き残ってても危機感持った方がいい

危機感を持つのは悪いことではないです。
何の前兆もないところから突然、部署解体・部署消滅を現実として突き付けられると人は茫然としたのち、誤った判断を下しがちです。(これも経験あり)
危機感を持っている人は無防備でいる人よりは正しく動けます。

でも組織に属していれば「一人だけ意識高い」とか、「一人だけ危機感が強い」ことによって、周囲との温度差による軋轢も生まれることがあります。ひどくなると周囲から独善的な部員だというレッテルを貼られてしまうこともあるかもしれません。組織では周囲とうまくやっていくということも必要です。

テレビドラマなら、たった一人の主人公が周囲の登場人物を感化して意識高い組織に転換するサクセスストーリー、といったところなのでしょうが、テレビドラマのように明確な悪役が出しゃばってきてチーム一丸・一枚岩になったり、ちょいちょい事件で起きて部内の結束が強まったり、などと都合のよいことがそうそう起こるわけではありません。
現実はそんなに甘くないです。

忙しくてそれどころじゃない

結局、多数派の現実は「日々の業務量が多すぎて、一担当者の立場で部署の未来を心配する余裕はない。」とか「日々の業務に忙殺されていて、新しいことを始めることはできない。」とか、システム部門に限らないと思いますが、みんなギリギリのところで日常に精一杯というのが現実だと思います。
ここで、何かの間違いで「もっと主体的に」とか「もっと能動的に」とか言われても、
「人の気も知らず何言うてんじゃ」とか
「私の業務量理解してから言ってよね」とか
文句の一つも言いたくなる気持ちは分かります。
「誰のせいでこんな業務量が増えていると思っているんだ。」と。
「こんな状況で、主体的に組織に貢献する、能動的に組織に価値をもたらすなど、どんな超人だ?」
そうですよね。分かります。

それでもコツコツと

さて、長々と語ってしまいましたが、まとめに向かって話を戻します。
「自身のスタンスは多少は受け身であってもいいのです。」
(主体的に能動的に)動いているように見える、あるいは結果的に動けるようになっていれば、自身は受け身でも構わないです。評価は能動的か受動的かで変わるのではなくて、組織に貢献できているかで変わるのですから、むしろ能動的に手さぐりで新しいことに対してアクションを取る時間を、確実にしっかりと足元固めましょう。(確実な通常業務を心掛けましょう、ということです。)
でも、ユーザ部門から打診される変化への要望は逃さないようにしましょう。多少無駄に感じてもこれを逃さないことは遠い未来の自分に益をもたらすことが多いです。
何も御用聞きになる必要はありません。何でもかんでも御用聞きで要望を叶えないといけないわけではありません。
ただし、やらないにしてもやらない理由やできない理由はうまく腹に落ちるよう説明する必要はあります。
やると決めたら、結果が出るまで辛抱強くやり切る必要はあります。
途中で戦略的撤退をする場合には、打ち切る理由をうまく(必要なら代案交えて)説明する必要があります。

これはすべて(ゲーム風に言えば)「ユーザ部門の信頼度パラメータをあげておく」行動です。ユーザ部門の信頼パラメータは部署対部署の信頼パラメータにもつながります。つまりシステム部門が組織に価値をもたらしているかどうかの指標です。(RPGでいえば経験値ですね。)
実は、実施した施策の結果/成果よりも、この「信頼パラメータ」<RPGでいえば経験値>が溜まっているかどうかで評価される環境も世の中にはあります。

私見ですが…

私としては、人が集団になって形成するのが組織ですから、その組織の一部である部署は人同士でうまくやってナンボ、人同士うまくやっていることが前提条件ですらあるんじゃないですかね?と考えています。
で、メディアが語るようにシステム部門は戦略部分に能動的に食い込んでいかなければならない、とか、システム部門はニーズをいち早く察知しスピード感を持って関与しなければならない、というのにピンときません。
世の中の多数派のシステム部門の担当者は例え実力があっても、できない事情を抱えて日々の業務をこなしているはずです。(できるんならやったほうがいいですよ、もちろん)
裏を返せば実力があるから仕事を抱える羽目になっているはずです。実力がなければ時間の余裕もあるから能動的な動きもできなくはないですが、実力の無い社員が社の戦略に関わって結果を出したりニーズを察知してスピード感のある展開ができるのかは疑問です。

実力があるのなら、重要な局面にお呼びが掛かるような(周囲の)状況になっていれば、受け身でもいいんじゃないか?って思います。
組織の中で、
(担当者の)彼が居れば大丈夫、と部員の多数が思われるシステム部門が、
(組織内で)うちのシステム部門ならできるはず、と有事に任せてもらえる、
そんな関係性がユーザ部門と築けていれば、システム部門が存在意義を問われたり、ましてや滅亡や消滅をしてしまうことはないんじゃないでしょうか?

しかし現実は…

でも意外とユーザ部門の世論、こうなっていませんか?
(担当者の)彼に言うとお役所対応で言うだけ無駄、と部員の多数派のシステム部門、
(組織内で)うちのシステム部門に言うと話が進まないorうるさいから外部の業者を入れよう、と置き去りに話を進められる
と、いった具合にです。

最初からユーザ部門はシステム部門を避けていた分けではないはずです。むしろシステム部門に積極的に要望や提言を出していたユーザの可能性だってあります。
でも応対がマズイことが重なれば、人は期待をしなくなります。期待を裏切られ続けた人は最終的に無き者として考えることが多いですね。過激派だと部署不要論なんかを語りだす人も少数派ですがいます。

ご再考ください。
ぜひユーザ部門の信頼を勝ち取る動き方を取り始めましょう。少なくとも経営者側は押さえておきたいですよね。
これは残業を増やしたり、業務量を増やしたり、といった負担のアプローチではありません。普段の立ち居振る舞い、ユーザ部門が開催し呼び出される会議にいつもより少し身を入れる、そんな普段の動き方を「より信頼を得るには」どのように動けばいいかorどのような発言をすればよいか、を意識することで、ふだんよりちょっぴり考えを深くして行動をするようにすれば、スタートできています。


まだ間に合うはずです。